夏ってなんでこんなに暑いんだろう

しめちゃんの新規オタク

waiting for the rain

こんばんぬ。こんばんぬって言わせてください。きっと最後だから、こんばんぬ。



これは私の大好きなアイドル中島裕翔くんがラジオで使う挨拶なんですけど。きっと最後だからっていうのは、そういう意味です。




ずーーーっと考えてました。しめちゃんを好きになればなるほどこのことについては苦しめられて、この数ヶ月ずっと悩んでた気がする。こんなに本格的に悩んでしまったのはサマーパラダイスで完全に七五三掛くんにやられてからだから1ヶ月くらいかな。毎日のように考えてた。




私は中島裕翔くんの担当を名乗るのをやめようと思う。







私は裕翔くんが大好きで愛しくてたまらなかった。裕翔くんがこの世で1番好きだった。どんなに苦しい時も辛い時も裕翔くんを見ると元気が出た。友達関係で嫌なことがあった時も、しんどい受験期も、大学で全然気の合う友達に巡り会えなかった時も、裕翔くんに支えてもらった。誰にも言えないつらいことがあっても、1人で泣いても、裕翔くんだけは私を癒してくれた。精神安定剤だった。



昔から「絶対ジャニオタにはならない!」って宣言してた私を、ジャニオタに抵抗しかなかった私を、転がるようにこの世界へ導いたのが裕翔くん。裕翔くん以外は興味がなかった。裕翔くんの所属するheysayjumpは大好きになったけど、担当が変わるとか1ミリも考えたことがなかった。変わるわけがないと思った。裕翔くん以上に好きになる人なんていないと思ってた。もうなんなら宗教みたいな。裕翔くん神様、みたいな。真面目で全力で可愛くてかっこよくて奇行がすごくて俳優もモデルもアイドルもこなす裕翔くん。ブログ顔写真掲載オッケーになっても一向に写真をあげてくれない裕翔くんも、マジレスサイコな裕翔くんも、ふざけてる裕翔くんも、ファンサマシーンな裕翔くんも、もう中島裕翔っていう人間の全部が愛おしくてたまらなかった。



裕翔くんから離れる人を見かける度に、裕翔くんから離れられるんだ、と驚いた。こんなに魅力的な人間から離れられるんだ、って本気で思ってた。



まさか自分がこんなブログを書くなんて想像したこともなかった。こんな日がくるなんて思わなかった。




わざわざ担当をやめる必要なくない?って思う人もいると思う。

友達にももっと気楽にオタクしなよ、って言われる。


私も出来るなら掛け持ちのままオタクしていたかった。でもそれは器用な人間の場合。私は器用にできなかった。どちらとも同じ熱量で応援ということはできない。1人しか追えない。どうしても順位をつけてしまう。無意識のうちに。




じゃんぷのコンサートに入った。

例年と全然違うテンションで。

ツアーが決まったころはまだ、どこ行く?遠征費は?ホテルは?ってわくわくしてたはずなのに、その時のような高揚感はなくなっていた。



曲も全部聴き終わってなければ、レポも追えてない。グッズの詳細もよくわかっていなかった。こんなこと今までの私じゃあり得なかった。好きになってから数年、じゃんぷちゃんのことを考えなかった日はないと言っても過言ではないくらい、それくらい好きだった。



自分の中には「冷め期」という概念がない。自担は愛でて愛でて愛でまくる。熱愛が出ようと、裕翔くんへ対する怒りは1ミリもなく、逆に元気のなくなった自担を心配するタイプ。アイドルでいてくれさえすればそれで幸せだった。アイドルという仕事にやる気がでるなら、キラキラしてくれるなら、プライベート充実させてくれぐらいの勢い。



だけど、コンサートに入ってわかった。

昔のような裕翔くんに夢中で裕翔くんしか見えなくて全力で大好きだった自分ではなくなってしまった。客観的に見てしまう。


皮肉にも今までで一番良い席だった。肉眼でみんなの表情が見えて、私の大好きだった裕翔くんがすぐそこにいる。ああこういう裕翔くん好きだったなぁとか、そういう風に見てしまう。やっぱりカッコいいなぁ、ハンサムだなぁ、みたいな。ぼーーっと眺めてしまう。



今回ソロ曲があった。裕翔くんのソロ曲は切なかった。勝手に自分とリンクさせた。




行く当ても分からず 心ここに在らず 君は側にいて もうダメ いや でも まだ 繰り返すループ





心ここに在らずだった。悲しかった。実際にコンサート入ったら気持ちが変わるかな、とか思ったのに変わらなかった。むしろ決意が固まってしまった。


もうダメ、いや、でも、まだ、

そうやって、何回も思った。


楽しかったけど、今までの楽しさとはあきらかに違った。周りのじゃんぷ担の子の楽しいとは違う。いつも一緒に入ってる友達の言う楽しいとも違った。








変わったのは誰だ? 誰のせいでなのか? パズル埋めたって 最果てから聞こえる「意味ない疑問」 







裕翔くんのことを嫌いになったわけではない。好きじゃなくなったわけでもない。まだ好きだよ、当たり前に。裕翔くんが離れさせるようなことをしたわけでもない。裕翔くんが私の好きな裕翔くんから変わってしまったわけではない。



掛け持ちできずに裕翔くんを担当と呼べなくなってしまったのは、完全に自分のせいで、自分がもっと器用な人間だったら、ずっとずっと追っていたかった。



なにか他に無理やりにでも理由をつけるとしたら、圭人の留学はひとつとしてあるかもしれない。圭人担の子の気持ちなんて分かったもんじゃないけど、割とコンビ厨なところがある私は、とりんが大好きだったから、とりんの絡みで人一倍キャーキャーしてたから、それが見れなくなったことは割と自分の中で大きくて。



コンサート中もなんか違和感を感じてしまって、ここのパートとりん抜かれてたなぁとか、バンドコーナーで顔を見合わせるのがとりんじゃないなぁとか、半分に分かれる時4:5かと思ってると4:4だし、キミアトの台詞ワンテンポ遅れてるよ???って思ったら、ああ8人だからか…とか、なんか、ね、、



8人で魅せようとしてるのに、こんなこと言ったらダメなんだろうけどね、、思っちゃったもん、、、




またとりんが見れる日がきたらワクワクでルンルンで参戦する日がくるかもしれない。全力でチケット取って、公演に入りたくてうずうずして、じゃんぷちゃんに全力で熱を注ぐ日が戻ってくるかもしれない。




こんな担降りブログを書いておきながら、誘われたらじゃんぷのコンサート行くだろうし、永遠に裕翔くんの顔ファンだし、ドラマも見るし、熱量は変わってもきっと好きでいるとは思う。




担降りって表現が正しいのかもわかってなくて、裕翔くん強火担から茶の間ファンへ降格する、みたいな気持ち。



ただ全力で追えなくなってしまったことが悲しくて、悲しくて自分の中で整理をつけたいから、担当を名乗るのをやめてしまおう、っていう逃げです。そうしたらこの気持ちも楽になるかなって。




担降りって私が想像してたものとは違った。こんなに苦しいものだとは思わなかった。嫌いになったから、失望したから、そうやって降りていくのかと思ってた。




裕翔くんを好きだった数年間は大切な自分の宝だし、ほんっとうに楽しかったし、たくさん幸せな気持ちになったし、忘れられるものじゃないから。忘れたくもないから。心の奥には裕翔くんしか見えてなかった時の自分がまだ眠ってるから。




裕翔くん、好きだよ。きっといつまでも私のスーパーアイドルだよ。ドラマも見るし、きっと雑誌も見る。新曲とか出たらチェックすると思う。








今も君は僕のために泣いてくれるだろうか

もう雨は上がる 僕を残して








裕翔くんのソロ曲聴いて何度も泣いて、きっと会場では号泣してしまうんだろうなって思ってたけど、しっかり見届けた。裕翔くんありがとう。って気持ちをたくさん込めて見届けた。ソロ曲かっこいいよ、素敵だよ。もっともっと世間の人が裕翔くんの魅力に気づきますように。裕翔くんが幸せでありますように。







裕翔くんの担当をできて幸せでした。ありがとう。